旅とアートとクリエイション。

関西圏を中心に、博物館、美術館をはじめとするアート展、音楽、ファッション系など、興味を持ったり行ったイベントをアップしていきます。

決断なきところに自分なし。~自分探しを終わらせるたった1つの行動とは~

 

 

 今月に入って、2本の映画を観た。

 

狙って選んだわけじゃないが、どちらも旅の映画。

私的には、1本目に観たのがかなり重たいテーマだったので

2本目は軽めにいこう、くらいの意図しかなかったんだけど。

 

これに共通テーマが見えるなあと思った。

 

1本目はこちら。

 

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD] 

1990年夏、大学を優秀な成績で卒業したクリストファー・マッカンドレスは、ハーバードのロースクールへの進学も決まり、将来を有望視された22歳の若者だった。ところがある日、周囲に何も告げることなく全てを捨て、彼は姿をくらました。これがクリスの“真実を探す”壮大な旅の始まりだった。最終目的地は、アラスカ。 (Amazonより引用)

 

 

2本目は、こちら。

 

食べて、祈って、恋をして ダブル・フィーチャーズ・エディション [DVD]

ニューヨークで活躍する女性ジャーナリストが、仕事にプライベートに忙しい日々を送っていたが、心のどこかに満足しきれない思いを抱いていた。
「昔はもっと毎日が輝いていたのに・・・」と。ある日、彼女はすべてを捨ててニューヨークからイタリア、インド、そしてバリ島へ“本当の自分”を探しに1年間の旅に出ることを決意する。
イタリアでは、体型を気にせずグルメ三昧、インドでは瞑想に耽り、最後に訪れたバリ島では思いがけない出逢いが待っていたのだが・・・。 (Amazonより引用)

 

――――――

 

 

最初にことわっておくと、この2つの映画が

似たような映画だというつもりはまったくない。

 

作風も、根底を流れる人生観も、想定される観客像も、

作品のスケール感も、何もかもが違う。

(ちなみに、映画のレビューについては、ほんと個人の感想レベルなのでご容赦ください)

 

 

ただ共通点があるとすれば

主人公が、日常生活をなにもかもいったん「すべてを捨てて」、

いわゆる「自分探しの旅」(あえて分かりやすくこの言葉を使うけど)へ出たという部分。

 

 

それぞれの主人公が求めるものは、「真実」や「本当の自分」。

表現は違えど、誰もがいちどは人生でギモンに思い、

追究したくなる部分じゃないだろうか。

 

世間のしがらみに巻き込まれている今の私は

本当に私の真の生き方なのだろうか?って。

 

にも関わらず、世間では、「中2病」だとか

「地に足がついていない」と揶揄されたりもするもの。

 

 

『食べて、祈って…』の方ならば

守られた楽しいリゾート旅だし、

OLの自分磨き的なお気楽旅というイメージもなくはない。

 

実際に私の感想は「映画としては軽いっ」

という感じだったし。

 

 

でも、『イントゥ・ザ・ワイルド』はまったく違う旅で。

 

アラスカという、人間の住む土地から離れた

動物と植物しかいない、ほんとの「荒野」に出かけ

生きることにチャレンジした若者の話。 

 

文字通り、ダイレクトに生死がかかっている。

 

これならば賭けているものが違うし

彼なりに全力を尽くして、自分を試したかったのだろう。

ラストまで、そのすがすがしさは存分に感じられる。

 

でもその一方で、

「結局文明の利器は使っているよね」

「アラスカを知らない。無謀だ」

「アメリカにはそういう若者はよくいる」

という感想もあちこちで見かけた。

 

見通しの甘い「自分探しの旅」に、

世間は手厳しい面も見せるなあと思った。

 

――――――

 

 

で。

たまたま連続で観ただけの2つの映画。

 

全然違うよね、と思いつつも

なぜこうやって並べて感想を書こうと思ったかというと。

 

■「自分探し」という行為にホントは優劣はない。

 

と思ったから。

 

その人本人にしか、その旅の重要性は分からない。

その人本人にしか、未消化の思いを達成する方法はない。

その人本人にしか、本当に何を求めているかを知りようがない。

 

ということ。

 

だから、周囲の者がどれだけ

「あなたの旅なんて意味がないわ」とか

「命なんて賭けるのは無謀だからやめとけ」とか

そういうことを言おうとも、

 

それだけの意味があるかないかを決めるのは、

本人しかいない。

 

やらなければ、その人生はいつまでも

未消化の想いが残ったままだ。

 

 だから、旅でなくても「自分を探す」という行為は、

早かれ遅かれ、いずれやらなきゃいけないことなのだと思う。

 

私も、かなりモラトリアム世代で

かなりの時間を「自分探し」的なことに費やしてきたと思う。

 

でも、本当に自分というものの手ごたえを得はじめたのは

旅に出たことがキッカケでもなければ、

ある種のワークショップに参加したことでもなかった。

 

 

■自分の道は自分で選ぼう。

 

と決断し、それを日常生活で実行し始めてからだ。

 

 

 この2つの映画の主人公は、

旅以前の日常生活で、それを実行できていなかった。

 

・親に決められた嫌々エリート学生コース。

・タイクツで自分らしくない結婚生活。

 

だから、「わざわざ」旅に出る必要があったのだと思う。

 

 その中身が、

命がけでアラスカに冒険することであっても

美味しいものをたらふく食べて瞑想することでも

その内容はどちらでもいい。

 

本当に大事なのは、

 

■自分がそうしたいと感じ、それに沿って決断・行動したかどうか。

 

なのだ。

 

だから 、『食べて、祈って…』の、「映画としての」感想は

「軽っ」とは思ったが(苦笑)。

 

実際の女性の人生としては、十分にありだと思う。

 

我慢し続けてきた自分に気づき、

自分の欲を満たし、内面に向き合う業をおこない、

それがキッカケとなって自分で決断するということを覚える。

 

これが現実逃避ではなく、決断できるキッカケになるのなら、

旅でも美食でも、瞑想でもしたらいいと思う。

 (謎の上から目線ですが)

 

 

逆に、日常生活のちいさな決断すら、

自分でできないと感じる環境にいるならば、

その状態を続けることはとても危険だと思う。

 

自分が何者かが分からない…という想いが鬱積して

自分というものを大げさに確認すべく、

取り返しのつかない行動に出てしまうことがあるからだ。

 

 

 ――――――

 

 

とにかく、この2つの映画を通じて思ったのは

 

■人の人生には、その人なりにやり残せないことがある。ということ。

 

■それを叶えるには、大げさなことをしなくてもいい。

  ただ、毎日毎日を自分で感じ、小さな決断していくことで

  未消化の想いが昇華され続ける。

 

自分は今この瞬間何を感じ、どう人生のかじ取りをしたいのか。

 

それさえ気づけたら、いつの間にか

「自分探しの旅」から

「自分ありきの日常」に戻っていけるだろうなと思う。

 

 


映画『イントゥ・ザ・ワイルド』予告編 - YouTube