旅とアートとクリエイション。

関西圏を中心に、博物館、美術館をはじめとするアート展、音楽、ファッション系など、興味を持ったり行ったイベントをアップしていきます。

美意識の天井を越える。

昨日、ブログ整理をしていて。なんで私、こういうブログを書きたがっているんだろう。って改めて思った。

 

ちょうど今日は化粧品を買いに行っていた。

色モノはかなり以前から使っていて、古くなっていた。ただ、私のメイクの仕方は、あまり化粧品を消費しなくてもいいから、なかなかなくならない。買い替える必要がないので買い替えなかっただけだ。

テスターで色モノを試していると、いかに自分の持っていたものが古いものか、ハタと気付いた。30代を越えたらメイクが古くなるのはよくあることらしいが、そんな自分をちょっと残念に思った。

 

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そこで、気づいた。美意識に関しては、なぜまた最低限でおさめようとしているんだろう?私。

そう。「また」だ。なんかある一定以上は自分にはいらないとか、求められていないとか、オトコマエ女子みたいに粋がって排除していた。

ほんとうは、そこまで古びた化粧品に不満だったのに。いくら素肌美を、ナチュラルを目指したくとも。いや、だからこそある程度肌にいい、新鮮なものが必要なはずなのに。

 

 

私は子供の頃からずっと、「自分の美意識これでいいのか」と問い続けてきた気がする。

意固地になって「これでいいんだもん!」と決め込んだこともあれば、「美意識なんてないし」とひねくれにかかったこともあった。

 

時に、自信みたいなものが顔をのぞかせたこともあったけど、ほんとに刹那なもので、すぐに他との比較と否定が顔をのぞかせてきた気がする。

 

このブログはおそらく、「自分にとっての美意識とは何か?」をあらためて問いたくて始めたのかもしんない。いくら機能的でも美しくないものに、どこか納得いかない自分が潜んでいたのかもしんない。

 

 

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美意識に答えはないよね。何を美しいと思うかは、人それぞれだから。

でもそれじゃあ、「自分が思うところの美しさ」は何なのか、自分で分かってるんだろうか? もしココロのどこかで、いくばくかでも分かっているんだったら、なぜ目を逸らしたり沈黙してるんだろうか? 

 

なんで「ある一定」以上、やらないんだろうか?

なんでそこで「必要性」とか「機能性」を問おうとするんだろうか?

 

これが私の足を止めてたんだな。

 

今年の初めに苦手な料理で覚醒したときも同じだった。料理については苦手と決め込んで、一定以上上手くならないようにしてたことに気づいたんだ。そこに気づいたときは苦しかったけど…。そっから、台所で動く手が徐々にスムーズになり始めた。

 

美意識はそれに比べるとそれなりに学んだし、活用もした。それどころか、美容部員やアパレル店員、メイクアドバイザーすらやっていた。不思議なのは、特段なりたいとか意識では思ったことがなかったことだ(これホント未だに意味不明)。

そんな美意識についてでも、一定を越えたら「必要なの?」と思って自分から追究を辞めてたんだわ。そこに天井があるかのように。毎度その天井にぶつかりながらも、そこをどうしても越えることができず、その理由もずっと分からずにいた。

 

今日分かったひとつのこと。

自分が「美しい」と思うものを求め始めたら、そうでないものを否定して気難しくなりそうで怖かった。その逆で、自分の隣に自信のある美人が立とうものなら、自分が否定されたような気持になっていた。いたたまれなくなってその場を退いたこともあった。美への追及は私にとって、そうでないもの、そうなれないものへの否定とイコールになっていた。頭の中で。

 

でもそうやってうだうだしたって、結局やってることは同じ。

自分の美意識に触れたとき、納得いかないラインにはどっちにしろ納得がいかないんだ。そういうことがこの一連のヒラメキによって明らかになった。目を逸らして、言わないで、表現しないでいるだけ。いい人ぶっているだけ。

これが美しい、これが好き。その逆で醜いも嫌いもある。そう思ってるんだったらもう一緒じゃん。 

 

大事なのは、いくら美意識が千差万別とはいえ、「自分が思うところの美しさ」は何なのかを明らめることだと思った。ブスだという意見があろうが、ダサイと思われてようが。だからこうやってブログを書いて、確かめている。

そこに何の機能も貢献もなくってかまわない。美意識など所詮自己満足だからだ。ただひとつ言えるのは、自己に満足すらさせたげれなくて、どこの他人が満足するだろうかということだ。

また足が止まるかもしんないけど、そんなときはまた思い出す。

 

だから明日も私は、自分にとっての美しさを見つけては密かにほくそ笑むだろう。