旅とアートとクリエイション。

関西圏を中心に、博物館、美術館をはじめとするアート展、音楽、ファッション系など、興味を持ったり行ったイベントをアップしていきます。

命を受け取り、転写していく。その連鎖のこと。

 

 

今私が、

ブログ書いたり人と逢ったり

何かをつくったり旅をしたりしてる

こういう活動を何と表現していいかってずっと思っていた。

 

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「仕事」というのは違和感が少しだけある。

 

「仕事」という言葉には、

直接的に報酬があったり、人に依頼されてやったり

何かある一定の枠の中にある

 

というイメージが

フジツボのようにびっしりとこびりついているから。

 

だから、

直接的に報酬はなくてもやること自体に報酬を感じたり

人に依頼されなくても勝手にやっていたり

特定のルートやルールを通さなくても取引が成立してたり

 

こういうのは何と言ったらいいのだろうか。

 

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「遊び」かというとそれもちがっていて

受け身ではないし、さほど無責任・無目的でもないつもりだし

ストレス解消や楽しいだけでもないから。

 

 

今のところ、「活動」というのが一番近いかな

と思うけれども。

なんかいい表現を思いついたら使っていきたいなと

考えているところが現在。

 

 

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で、そういう生きる活動全部に共通する事項を先日、発見した。

 

それは、

◆命を何かに転写すること。

 

ここでいう「命」は、

エネルギーでも愛でも意識でも、何と言い替えてもいい。

 

「自分である」という文脈全体の

何か一部を複製したり切り取ったりして分かち合ったりして

外部の何かに転写することなんだな。

 

と思った。

 

これは、一般的に(と私が思っている)

「仕事」にも「遊び」にもないことだ。

 

それをすること自体に意味を感じられる状態。

 

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書いていて思ったけど、これは

遺伝子を残すことに非常に似ている。

 

文字通り子孫を残し、育てることでそれを行う人もいれば、

自分の生き様によって人に影響を与えることで

それを達成していく人もいる。

 

たぶん、すべての命が潜在的

そのようにしたいと思っているんじゃないかな。

 

 

 

先日、こんな記事を書いたけど。

ameblo.jp

 

ここで、曼荼羅を描いてた彩さんが言ってた。

 

曼荼羅には、それを描いたときの描き手や

その時イメージして描いたその相手のエネルギー状態が

そのまま乗っかるんじゃないだろうかって。

 

だから、

私が連れて帰ったこちらの曼荼羅アートを見ると

ameblo.jp

 

その通り、「整う」。

 

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伝わっていくのはここで、

自分自身がこの世に必要な存在である理由も、ここにあると思う。

 

何をするかよりも、そのときその人がどんな心境で

どんな生き方をして何を乗り越え、意図しているのか。

 

それが人に伝わる。

それを「活動」を通じて人に伝達していく。

 

そのときの記憶やエネルギーや

さまざまな情報が人に伝わっていく。

 

伝わった相手の命に変わり、

エネルギーに変わり、またその人が何かを転写する際の起爆剤になる。

 

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ただ、「命」を転写するわけだから

自分自身にとっても、「命」をいただき、受け継ぎ

消化していく必要がある。

 

だから、発することと受けとることはどちらも必須。

 

その相互作用が命の連鎖になっていくんだろうなって。

 

 

…で。これ。

 

これのことを、なんて呼んだらいいんだろうね。