命を受け取り、転写していく。その連鎖のこと。
今私が、
ブログ書いたり人と逢ったり
何かをつくったり旅をしたりしてる
こういう活動を何と表現していいかってずっと思っていた。
「仕事」というのは違和感が少しだけある。
「仕事」という言葉には、
直接的に報酬があったり、人に依頼されてやったり
何かある一定の枠の中にある
というイメージが
フジツボのようにびっしりとこびりついているから。
だから、
直接的に報酬はなくてもやること自体に報酬を感じたり
人に依頼されなくても勝手にやっていたり
特定のルートやルールを通さなくても取引が成立してたり
こういうのは何と言ったらいいのだろうか。
「遊び」かというとそれもちがっていて
受け身ではないし、さほど無責任・無目的でもないつもりだし
ストレス解消や楽しいだけでもないから。
今のところ、「活動」というのが一番近いかな
と思うけれども。
なんかいい表現を思いついたら使っていきたいなと
考えているところが現在。
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で、そういう生きる活動全部に共通する事項を先日、発見した。
それは、
◆命を何かに転写すること。
ここでいう「命」は、
エネルギーでも愛でも意識でも、何と言い替えてもいい。
「自分である」という文脈全体の
何か一部を複製したり切り取ったりして分かち合ったりして
外部の何かに転写することなんだな。
と思った。
これは、一般的に(と私が思っている)
「仕事」にも「遊び」にもないことだ。
それをすること自体に意味を感じられる状態。
書いていて思ったけど、これは
遺伝子を残すことに非常に似ている。
文字通り子孫を残し、育てることでそれを行う人もいれば、
自分の生き様によって人に影響を与えることで
それを達成していく人もいる。
たぶん、すべての命が潜在的に
そのようにしたいと思っているんじゃないかな。
先日、こんな記事を書いたけど。
ここで、曼荼羅を描いてた彩さんが言ってた。
曼荼羅には、それを描いたときの描き手や
その時イメージして描いたその相手のエネルギー状態が
そのまま乗っかるんじゃないだろうかって。
だから、
私が連れて帰ったこちらの曼荼羅アートを見ると
その通り、「整う」。
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伝わっていくのはここで、
自分自身がこの世に必要な存在である理由も、ここにあると思う。
何をするかよりも、そのときその人がどんな心境で
どんな生き方をして何を乗り越え、意図しているのか。
それが人に伝わる。
それを「活動」を通じて人に伝達していく。
そのときの記憶やエネルギーや
さまざまな情報が人に伝わっていく。
伝わった相手の命に変わり、
エネルギーに変わり、またその人が何かを転写する際の起爆剤になる。
ただ、「命」を転写するわけだから
自分自身にとっても、「命」をいただき、受け継ぎ
消化していく必要がある。
だから、発することと受けとることはどちらも必須。
その相互作用が命の連鎖になっていくんだろうなって。
…で。これ。
これのことを、なんて呼んだらいいんだろうね。