旅とアートとクリエイション。

関西圏を中心に、博物館、美術館をはじめとするアート展、音楽、ファッション系など、興味を持ったり行ったイベントをアップしていきます。

あらゆるエネルギーは、出し惜しみしてはいられない。

 

 

以前、鍼灸師さんに脈を診てもらったとき

「あぁ~エネルギーを出し渋ってますね」と言われたのが

印象に残っている。

 

「出てない」だけじゃなく、「出し渋っている」のだ。

その表現をあえて使うってことは、

エネルギーが出てないのは、私の意思なのか?んん?

と思ったが、身体がそういっているのだから仕方ない。

 

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その当時は、引っ越しして間もない時期で

年間に2回も引っ越した上に人間模様もガラリと変わったもんだから

エネルギーを使い果たして、枯渇していた。

 

それで、何度も頭痛におそわれ、

理由も分からないのに寝込んだりしていたのだ。

 

 

私、エネルギーないわ。

そう、思っていた。

 

 

でも、実は自分から「出すまい」としていた

というのが正解だったのだ。

そのことが、後になってわかった。

 

―――

 

人間は、

「今日と同じ明日が続けばいいな」という安心安全を求めて

文明を発展させてきた。

 

今日は獲物が取れたとしても、来月には餓死するかもしれない。

 

だから、農耕をいとなみ、獲物の取れる季節と場所をデータ化して

足りないときは遠くの人に分けてもらえるようにとか

そうやって安心安全を得てきた。

 

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そのDNAは脈々と私たちにも受け継がれてきていて、

明日どうなるか分からないことにチャレンジするのは

やはり今でも勇気のいることなのだ。

 

ただ、私たちは、かなりの確率で

「明日も生きているだろうな、たぶん」と確信できるような日常を

手に入れてしまった。

 

それでも、出し渋り、それでも、ため込む。

昔の私たちが明日におびえていたように。

 

きっと私が出し渋っていたのも、急激な環境の変化によるもの。

意識では気づいていなかったとしても

身体は無意識で、危険に備えていたのかもしれない。

 

 

―――

 

 

ただ、平和も長く続くと、今度は身体に支障をきたしてくる。

身体は、適度な平和を好むのと同じように、適度にリスクも好むのだ。

 

リスクがあると、臨戦態勢になることで、

体中をアドレナリンがかけめぐる。

 

今この瞬間の命を、最大限の力で守ろうとす。

そのために全エネルギーを出し尽くす。

 

これは実は、とても気持ちの良いこと。

 

平和すぎると、ため込みすぎることによって

このような戦闘用のエネルギーが行き場を失って

腐ってくるのだと思う。

 

私の身体も、引っ越しという大イベントによって、

リスクに備えて出し渋りを実行していた。

 

でも実は、平和な世の中。

人に助けを求める方法はたくさんあるし、

食を得ようと思えば、手段を選ばなければなんとでもなる。

 

そんな平和な世の中では、出し渋ることが逆に、

行きづまりになろうとは思ってもいなかった。

 

人が増え、世界中でさまざまな活動がおこなわれると、

モノも情報も豊かになるいっぽうで

「いらない」と言ってもどんどん入ってくるのが今の世の中。

 

だから、好むと好まざるにかかわらず、出していくしかないのだ。

 

私も、あの当時に脈診をしてもらってからというもの

運動は好きではないができるだけ散歩をし、

夜寝る前にも軽く体を動かすようになった。

 

そうすると、じわじわと、湧いてくるようになった。

今までは、家事や仕事など、限られたことしかできなかったのが、

徐々に習慣化し、当たり前にできることが増えてきた。

 

趣味に費やすエネルギーのゆとりも、出てきたし

こうやって既存のブログ以外にも、

新しいブログを書いて何かを発信しようと思うまでになった。

 

出し惜しみしているうちは、その分が返ってくることなど

イメージができないかもしれない。

万が一返ってこなかったときのことを思うと恐い。

だから出し惜しみしてしまうんだしね。

 

私も実際、体力を使い果たして寝込むのがいちばん恐かった。

それにおびえていたからこそ、逆に寝込んでしまったのだ。

 

そういうときには、出すものを変えてみるとか、

恐い範囲をちょっと超える程度からやっていくのが

いいかもしれない。

 

・体力(労働力)

・知力

・お金

・モノ

・親切

・感情

・紹介

 

などなど、自分はあるものを持っていないと思いこんでても

案外人には他にも、出せるものがあるのだ。

 

恐怖から出し惜しみしていては、何も始まらない。

 

またちょっとだけ、恐怖を乗り越えてみよう。

 

次は、親切とか、紹介とかにしてみようかな。