好きなものって、実は細かすぎるこだわりこそが大事だったりする。
私、柄物が大好き。
お洋服を見に行ったら
かならず真っ先に柄物に目がいく。
1回のコーディネートに
柄物が2アイテム以上かぶっても平気。
むしろ3アイテム以上コーディネートできる人は
尊敬すら、する。
柄って
私のパーソナリティを表現し
代弁してくれるもの、そのものなんだ。
このTシャツは柄というよりもはや絵。
かなり大胆なパンジーがプリントされてる。
でも、あるイミ限界を感じるのは
柄って人=他人が作ったものであるということだ。
どんだけ自己表現とイキがっても
それは他人の自己表現を借りているに過ぎない。
だから、クレヨンや色鉛筆で
ときどき、絵と柄ともつかないものを
描いたりしてみる。
染色教室にも習いにいってみた。
型からつくって布から染めて、
こんなポーチをつくってみたり。
これまた、なかなか楽しい。
なかなか時間と労力はかかるけど
それだけ優雅な気分になれる。
ただ、あと一歩なにか違う感も
感じていた。
それは…
ほんとに、ちょっとした差だったのだ。
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私は特に、
色同士が境界線を越えて
かぶりあうようなテイストが好きなんだ。
ペンキをランダムに飛び散らせたような感じとか
水彩画っぽいにじみ絵とか。
今まで持ってたアイテムを見て
それは改めて感じた。
今年新調したお財布をはじめ。
だいぶ以前買ったTシャツとか。
このワンピの柄も、枠線をとび越えて色がにじんでいる。
境界線のぼやけた花柄タンクトップ。
これはペイントスプラッシュな感じのストール。
―――
だいぶ以前に習ったアートセラピーで
こんなことを学んだ。
どんな色を使ってどんなカタチを描いたか、
にももちろん心理状態は表れるけど…。
「どんな画材を使って描きたいか」
もおなじく、大事。
道具が描き手の心理状態とかかわっていて
その時々で、気持ちいい道具を使うことが
とっても大事なのだ。
たとえば、
緻密にこまかい色を塗りたいときは色鉛筆。
ざっくりラフに元気よくいきたいときはクレヨン。
のびのびと軽やかな心を表したいときは水彩。
摩擦のざらざら感を味わいたいときはパステル。
私は色を見るのが好き。
とくに、いろんな色が混在している
柄を見るのがとても好き。
で、ここで自分の感覚に
デリケートになる必要があったということだ。
私が好きなタッチは
◆クレヨン
◆水彩
のようなもの。
枠線をきれいに取られたものにも
好きなものはあるけれど。
自分が描くとしたら、
広い範囲を思いっきり塗る方が
細かくふちどるよりは気持ちいいはずということ。
その感覚に正直に、
いちどやってみる必要があったのだ。
実は水彩を始めなかったのは
ほんとうにしょーもない理由で。
水がいるから面倒だなってことと
クレヨンや色鉛筆の方が
持ち運びやすいからっていう理由。
いずれ色を使って
何かイベントをしたい、と考えていた私は
そのイメージを先取りしてしまった。
自分の気持ちよさよりも、
労力のかからないことを優先していたのだ。
それで、途中で飽きて止まっていた。
―――
自分がホントに好むものを
労力がかかるとかお金、時間がかかるという理由で
後回しにしてしまうのは本末転倒。
いずれ、妥協した分
エネルギーが落ちてやる気がなくなってしまうものだ。
細部の、一見しょーもないこだわりにこそ
実はエネルギーが宿っているのだ。
妥協は禁物。
だったら、その細かいところに対しても
本当に心の声を聞いてこだわってみようと
改めて思った。
エネルギーさえ湧いてくれば
面倒とか乗り越えてもっと楽しくなってくるはず。
そんなわけで、さっそく画材関連のセットを
まずはチープに揃えてみた。
筆洗とか、パレット、絵筆。
うん、なんか小学生のころを思い出してワクワクしてきた。
当時は課題が決められていて
なかなか自由にできなかったけど
もしかしたら描いてみたいものがあったのかもしれない。
よし、やってみよう。