旅と映画とクリエイション。
「生活」という言葉を聞くと
なにかこう、乾いたような感覚をおぼえたり
ささくれだった気持ちになるのはなぜだろう。
最近このように思うことがありました。
私にとっては「生活」という言葉が
なにか自分と分離したような
敵となって追いかけてくるようなものという、
そういうイメージがずっとつきまとっていたのです。
中にはこういう感覚に
共感する人もいるかもしれません。
いつから分離してしまったのだろう。
生活と、趣味とが。
プライベートや家庭と、仕事が。
遊びと、仕事が。
友達という人間関係と、
付き合いという名の人間関係とが。
「ウチの」コミュニティと「よその」コミュニティとが。
身体と、魂とが。
ぜんぶ自分の一部なのに。
それはすべて「生活」という言葉の中にあるはずなのに。
私の中で、しっくりと結びついてこないのが
ずっと不思議でした。
―――
私は子供のころから
住む家も学校も習い事も
あちこち転々としてきたので
異質なものを常に取り入れ続けてきました。
そのプロセスで興味を持ったのが
『異文化融合』という概念です。
いっけん、分離しているようにみえる
異質なもの同士が出逢ったとき、
どのような新しいものが生まれるのか。
そういうものを目の当たりにするのが好きでした。
それが私にとって
生きるのに必要な概念だったから。
それは
洋の東西の概念だったり
音楽の融合だったり
ファッションのミックスコーディネートだったり。
分離しているもの同士にある
共通点をさがすことで
他の場所に行っても生きていけるのです。
そしていつしか、
さっき挙げたこんなものも
融合していけないかと考えるようになりました。
生活と、趣味。
プライベートや家庭と、仕事。
遊びと、仕事。
友達という人間関係と、
付き合いという名の人間関係。
「ウチの」コミュニティと「よその」コミュニティ。
身体と、魂。
自分を介してそれらの世界が存在する以上
それはすべて根っこのどこかでつながっている。
私はそんな世界観を持っています。
―――
いままでは、学び、経験してきたことの
エッセンスを語るのが楽しかったのですが
感受性をひらくにつれて
異質なもの同士のつながる、その間にある微細なものや余分なもの、
目に見えない背景にあるものを感じ取るほうが
面白くなってきました。
「融合」という世界観をベースに
見えてきた「つながり」を語りたくなりました。
仮タイトルは、
『旅と映画とクリエイション。』
この3つは、今私が興味のあることです。
・旅は…異文化、他の地域とのつながり
・映画は…他人の人生が持つストーリーとのつながり
・クリエイションは…他の人の持つ心象風景とのつながり
こんなことを感じ、観察することができます。
異質なもの、分離したもののつながりを理解することで
冒頭にあげた「生活」というもののイメージが
イキイキとしてうるおいのあるものになるんじゃないかって。
そんなイメージを持ちながら、
スタートしてみることにします。